書きなぐり置き場

駄文やアイデアなんかをぶち込んでおくとこです。

氷河家

 氷河家の朝は、清掃を終えた道場での朝稽古から始まる。覚醒直後の訓練にはクリアの脳への刺激による閃きが多いそうだ。実感として感じるにはまだまだ修行が足りないけれど、妹の清華はこれを日課とし、毎朝僕を起こしてつき合わせてくる。時期当主がこのような軟弱ものでは御先祖様に申し訳がたたない、らしい。
「兄さん。我が氷河唯一の男であり、最年長である貴方が何ゆえこのような体たらくなのですか。まるで幼子の戯れです。少しは長男としての自覚をされてはいかがです? このままでは氷河の未来は潰えてしまいます。聞いているのですか!」
 そして、いつもこの調子。普通の女子よりも体力の劣る僕は、毎度毎度清華を怒らせてしまう。まだ頭に星が回っている最中だったけれど、返事をしなければきっとまた長たらしいお説教が待っていると思うと、無視できる筈もなく……。
 呼吸が乱れたままの僕はだらしなく首を上下にふってみせた。頭痛を振り払う仕草を待ちながら、訝しげな表情の清華は腕組状態のまま僕を見下ろしていた。心臓の鼓動が緩やかになってきた頃合いで、清華は頭に手を置きため息をついた。
「大体、喘息でもないというのにその体力の無さは何事ですか。これではまだ幼いながらも重い本を毎日持ち歩いている明楽のほうが数段立派です。兄さんもお背中に図鑑でも背負って登校してはいかがです? まったく、どうして貴方はそこまでだらしがないのです!」
 落ち着いた動悸が再び再起動する感覚を覚える。酸欠による血液の循環不足だろう。清華の小言が嫌な訳じゃないけれど、流石に限界だ。絞り出すような声で助けを乞う。
「……清華、ごめん。今は疲れて頭がまわらないんだ……。話の続きは、後にしてほしい」
 清華は目を丸くした後、大きく肩から息を吐いた。このため息は落胆……のようにも見えたけれど、僕の《目》には反省しているようにも見えた。修行不足に腹を立てるのはしょうがないと思うけれど、清華は言葉を重ねるとつい言いすぎてしまう自分の癖を自覚し、恥じていた。それは中学校に上がるころには他人に深くかかわらないという方法で根本から改善しようとしていたけれど、責任感からかほぼ毎日付き合わなくてはならない僕に対しては未だに厳しいままだった。
 ただ、僕はこのままの清華が愛しいと思うし、人を避ける方法はあの子の為にはならないのではないかと思ってる。これが本当の清華で、厳しい発言は優しさの裏返しだ。決して隠すような事ではないのだと、僕に兄としての威厳がもう少しあれば、清華に注意してあげられるのに、いつも歯がゆい想いだ。
「……わかりました。ここまでにします。兄さん、今日は日曜日で学校はお休みでしょうけれどもお勉強はお忘れにならないように。それでは、失礼します」
「あぁ。清華、お疲れ様」
「……っ」
 キッ、と睨み返したその目は、清華なりの照れ隠しだ。しっかり者の自慢の妹。氷河を受け継ぐのにふさわしい、凛々しく、まじめな妹。僕なんかよりあの子の方が余程ちゃんとしている。当主が男だけだというのは古いならわしだから、何も僕たちが順守しなければならないいわれはない筈だ。こんなに頑張っている清華が、ただ性別が女の子だからと家督を継ぐ選択肢を剥奪するのは我慢ならない。
 僕にも何か兄らしいことが出来るとするならば、清華の頑張りを親たちに認めさせることだろう。ただし、それには僕が清華との訓練で一人前にならなくてはならないという大きな矛盾した壁を超えないと、説得力を指摘されても言い返す余地がない。僕は僕なりに、氷河として成長する必要があった。
 修練の後はいつも無人の土蔵に立ち寄る。途中、とても広い中庭にほんわかと歩く、可憐な次女の姿を見つける。
「氷麗、おはよう」
 突然名を呼ばれて慌てたのか、はっと驚きあわあわしながら頬をぺんぺん叩く氷麗。胸に手を置いて深呼吸をしてから、とても優しい笑顔で僕に振り向いた。
「おはようございます、お兄様。朝のお勤め、お疲れ様です」
「お勤めって……そんな立派な事じゃないよ。それを言うなら、清華にだ」
 風が吹いて、艶やかな長い髪を手でふんわりと押さえる仕草に時を忘れそうになる。氷麗は清華と対照的にとてもおっとりしていて、マイペースで優しい子だ。生まれつき病弱で道場とは縁が無いけれど、不思議な感性でいろんなことに気が付く子だから、僕達家族はいつも困ったときについ氷麗に相談してしまう。
 それでも氷麗は喜んで話を聞いてくれるから、本質的にはきっと誰よりも大人だと思う。
「いいえ、日々の努力は立派なお勤めですから。お兄様にも、お疲れ様です」
「そっか……。うん、そうだね。ありがと、氷麗」
 ……こんな無垢な微笑みを向けられては、兄といえども照れてしまう。悪い気は全然しないけれどなんだか自分が少し恥ずかしい。そんな僕の様子を察してか、氷麗は口元を隠しながら、ふふ、っと小さく笑った。
「……ところで氷麗、今日は何をしているの?」
 ゆるやかに流れていく心地よい静寂になんだか耐え切れず、咄嗟に話題を逸らす。このまま氷麗のペースに飲み込まれると、いろんなことがどうでもよくなって来てしまうのだ。それはとてもいい気分なんだけど、今日は時間を無駄に使うわけにはいかない。清華との訓練であまり捗らなかったのだから、せめて今日は学習の日として遅れを取り戻さなきゃいけない。
 氷麗は毎朝庭の掃き掃除や草木の手入れをしているが、そういえば今日はホウキもじょうろも持っていない。なのに中庭で一体何をしていたのか、ちょっとだけ気になった。土蔵の方に近づくのは僕か明楽くらいなものだから、手ぶらの氷麗とこの付近で会うのは珍しい。
「小鳥たちが変わった鳴き声で歌っていたのです。きっと、春の終わりを告げているのでしょう。これから梅雨に入りますから、雨の当たらないところに巣を作ろうと土蔵の方に集まっているのですよ」
「へぇ……鳴き声でそんなこともわかるんだ……」
「いいえ、あくまで私の憶測です。でも、一生懸命生きている小鳥たちを見ていると、私も元気が出るのです。ですからつい、あの子たちについて行ってしまいました……。あぁ、私ったらまたぼうっとしてて……」
 下を向いて顔を隠し、耳を赤くしながら恥ずかしそうにあわあわする氷麗。そのままぱたぱたと慌ただしく逃げて行ってしまった。話しているうちに自分で自分の行動に疑問を持ち始めたのだろう。我に返る、と言うやつだ。恥ずかしがることじゃないのだけれど、本人はもう少ししっかりしたいって気持ちがあるのだと、僕の⦅目⦆にはそう見えた。こういうところも含めて、やっぱり氷麗はとても愛らしい。
 ひとしきり和みながら土蔵に向かうと、蔵の扉が小さく開いているのが見えた。どうやら先客がいるらしい。扉に手をかけ、そーっと開けながら僕はその小さな背中に向かって話しかけた。
「明楽、何してるの?」
「ひゃうっ!!」
 バタン、と今読んでいたであろう、非常に分厚い辞書のような本を勢いよく閉じ、半分涙を浮かべながら明楽は僕に振り向いた。臆病そうな顔が、徐々に怒りの形相へと変化していく。その一連の流れが、残念ながらただ可愛い。
「ハルト……!! 貴様どうしてくれる……!! 今読んでいたページを閉じてしまったではないか!」
「ごめんごめん、でも、焦らなくても開き直せば大丈夫だよ」
「こーんな分厚い本のページ数など覚えておらん!! なんとかしないか! このばかたれ!!」
 明楽は、まだ八歳だというのに勉強熱心で、大人でも難解そうな本を沢山読んでしまう頭のいい子だ。だけど、そのせいか年上の相手にも関わらずこういう随分と達観した態度をとってくるのが、みんなの悩みの種だ。でもそれは口調だけで本当はまだまだ中身は子供だから、素直じゃないけどみんなに甘えるし、感情に素直で怒ったり泣いたり喜んだりと一々可愛らしい。だからすぐからかってしまうのだ。
「四百二十五ページ。たしか真ん中あたりだったよ。って、また凄い本読んでるんだなぁ」
 きょとんとした顔でページを開いてみる明楽。読み途中の文を拾うと、満面の笑みを浮かべてこちらに振り替える。
「ここだ!! 凄いなハルト!! ちょっとだけ見直してやってもいいぞ!!」
「うん、ありがと。でももうそろそろご飯だから、戻った方がいいかもよ?」
 明楽は、ご飯という単語に目を輝かせた。せっかく開いてあげた本を勢いよく閉じ、興奮した様子で顔を近づけてくる。
「今日のご飯はなんだ!?」
 ぐいぐい来る身体を押さえ、鼻っ柱に人差し指を当てると、むっとして首を振った。
「明楽の好きな炊き込みご飯だよ。今、清華が腕によりをかけて作ってるから」
「うむうむ、それはいい!炊き込みご飯のもち米は白米に比べ含まれる糖の種類が多いから、勉強の後に良いのだ。そして、具のきのこは不足しがちなミネラルが豊富であり、疲労回復に向いている。まさに、アキラにぴったりの料理なのだハルト!」
 腰に手をあて、ふんぞり返って知識を披露してくれる。清華と氷麗もそれぞれ頭が良いけれど、知識という点では明楽に軍配が上がるだろうな。この子の知識欲には、いつも感心させられる。僕も見習わなくてはいけないけれど、情けないことに頭の良さは妹たちの誰にも敵わない。
 誇らしい反面、複雑な気持ちでもあるけれど、そんな僕の勉強をみんなが見てくれるのは嬉しい。清華はとっても怒るけどね。
「相変わらず物知りだね。料理の成分なんて、勉強しようと思ったことないよ」
「む。ハルトは食事をおろそかにしないことだ! しっかり食べないからいつもダメダメなのだぞ! オトコのくせに全然食べないし、そんなことでは背も伸びない筈だ! うかうかしてるとアキラが先に抜いてしまうぞ!」
「あ、あぁ……そうだね……その通りかも……」
「では先に食べているからな! ハルトもちゃんと食べにくるのだ! ……たまには、一緒に朝ごはんをだな……」
「うん。ありがとう明楽。心配してくれて」
「当然だ! アキラは出来る妹だからな!」
「あ、それとその本閉じちゃって良かったの?せっかく開いたのに」
「もうページ数を覚えた」
 にこっと僕に笑うと、明楽は居間に向かって行った。清華は怒ると怖いけど、明楽は純粋だから心にささるなぁ……。
 僕は朝食をいつも抜く。食べようとは思っていても中々胃が働いてくれない為、小さい頃からずっとそうだ。でも、明楽の言うことはもっともで、出来ることなら食べれるようになりたいのも本音だった。
 文武両道で立派な自慢の、ちょっと厳しい長女、清華。共に過ごすと時を忘れる、とても優しい次女、氷麗。物知りでいろんな事を教えてくれる、笑顔が可愛い三女、明楽。みんな僕には勿体ないくらいの良くできた妹たちだ。だから、僕もあの子達の力になりたい。
 いつもいつも、心配かけないように心を殺して生きているけれど、本当は何もできない自分が大嫌いだった。いくら頑張っても、誰にも敵わない自分が情けなかった。だからこそ、僕はこの土蔵に用があったのだ。